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近々、オトグス・ギャラリーがオープンします。 PART4


 

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 前回にご紹介した『ラ・シオタ駅への列車の到着』(PART3 参照)に先駆け、リュミエール兄弟が最初に手掛けた作品、それが『リュミエール工場の出口』でした。
 

リュミエール兄弟 『リュミエール工場の出口』 (1895)
 

 父親の代より写真店を営み、より鮮明で艶やかなプリントを誇った『エチケット・ブルー乾板』の製造・販売で財を成していたリュミエール一族。そんな折、フランスのパリに新たにオープンした『キネトスコープ・パーラー』(PART3 参照)でエジソンの動画に接した父アントワーヌがその開発を自社でも手掛けようと思い立ち、後に2人の息子たちによって生み出されたシネマトグラフ。その記念すべき第一作目、それが『リュミエール工場の出口』でした。(YouTubeに動画がUPされています。 YouTubeへLINK

文字通り、自社工場の門前にカメラを据え置き、扉が開かれ帰路につく従業員たちを撮り収めた、一見なんの変哲もないこの光景を何ゆえ記念すべき第一作目として選んだのか。そのリュミエール兄弟の<心性>に触れ得た先に見えてくる世界なくして、後のヨーロッパを席巻し行く『映画』=『物語』は生まれ得なかったのではなかろうかという、この通常あまり語られることのない<アプリオリな前提>を掘り下げて見て行くことが次なる作業です。
前もって言っておきますと、まさにこの地点を基軸としてオトグス・ギャラリーの<ひねり>は生み出されるのです。
 


 

 一般公開に先駆けて、1895年にパリで行われた写真産業協会主催のレセプション会場で初披露されたシネマトグラフ。その記念すべき第一作目に選ばれたのもこの『リュミエール工場の出口』でした。一度に多くの人が観賞できるスクリーンへの投影システムを引っさげて『エチケット・ブルー乾板』に次ぐ一族の更なる功績を高らかに歌い上げるその『場』で上映されたという、この作品に付された性格を考えれば自ずと見えてくる世界、、、。そうです!作品そのものが一族の繁栄を象徴するものであったということです。一時は廃業の危機に陥りながらも、100人は超えるであろう従業員を抱えて操業するにまで至った一族の成功の証そのものである『自社工場』の門前を写し撮ったという、まさにリュミエール兄弟の<心性>が反映された作品であったということです。

そしてここが肝心なところですが、後に制作された作品の多くにも同一の性格が見て取れ、同時にそれらの作品がヨーロッパの多くの観衆たちをも魅了したという史実です。
エジソンが多額の資金を使い、スタジオを設立し、曲芸師に踊子にと招いて緻密に作り上げた作品以上に、リュミエール工場から出てくるパートのオバちゃんたちや、後に見るようにリュミエール兄弟自身とその家族といった、見てくれもあまり良くない、<そこいら>の登場人物たちの<ごくありふれた日常>が、より人々を魅了したのです。


 

 例えば、『ラ・シオタ駅への列車の到着』以上に人気を博したとされる『赤ちゃんの食事 Repas de Bebe』などもそうです。(YouTubeに動画がUPされています。 YouTubeへLINK
 

リュミエール兄弟 『赤ちゃんの食事 Repas de Bebe』 (1895年)
 

 一見なんの変哲もないお家の裏庭で優雅なひと時を過ごす家族のひとコマですが、構成要素はすべてリュミエール印です。兄のオーギュストとその妻と子に、場所は自宅の裏庭だと思われるごくありふれた日常の、エジソンと比べればなんとも<やっつけ感>漂う1シーンですが、なぜ、これらの作品がヨーロッパの人々を魅了したのでしょうか。当事者以外には苦痛極まりない『よそん家の子の運動会のホームビデオ』といったい何処が違うというのでしょうか。
現代人にとってはある意味同じですが、そこは映像の黎明期です。『月世界旅行』の作品などで有名なジョルジュ・メリエスがシネマトグラフ初体験に際しての衝撃を下記のように綴っています。

「私を含めた招待客が、〈モルテーニ映写機〉に用いられていたものに似た小型のスクリーンに向かい合っていると、しばらくして、リヨンのベルクール広場を撮った〈スチール〉写真が映写された。私は少し驚いて、隣の客に間髪を入れず次のように話しかけた。
− こんな映写のために私たちは足を運ばなきゃならんのか? こんなものは私だって十年も前からしていることだ!
私がほとんどこう言い終わらないうちに、一頭立ての荷馬車が私ちに向かって動き始め、他の馬車、また通行人たち、要するに街の賑わい全体が続いて来たのである。私たちはこうした光景を目にして、茫然自失し、言葉にならないほど驚き、呆気に取られたままであった。…………」(『世界映画全史 (2) 』 p.85 AmazonへLINK

ベルグソンなど当代きっての哲学者たちをも巻き込んだ<高揚感>を今に伝える一文ですが、このように現代の我々にとっては<ごくありふれた日常>も、当時の人々にとっては、この現実が2次元のスクリーン上に生々しく再現されえたものとして、新たな驚きや喜びを喚起させる対象として立ち現れていたということです。

ただ、これだけだと先に見たエジソンの『フォノグラフ』から『キネトスコープ』という欧米各地を席巻した世界と同一の流れ止まりだったと思います。それ以降の『映画』=『物語』の世界は生まれ得なかったということです。ここが肝心なところですが、そうなるにはそれ相応の<推進力>となるものが必要だったのです。そしてまさしくリュミエール兄弟の作品の多くには、その推進力となり得る要素が多分に含まれていたいうことです。それも期せずして。あえて皆が<いわずもがな>の<アプリオリな前提>として存在していたものが。
 


 

 もう一度、先の『赤ちゃんの食事』 を見てください。そこに置かれた調度品の、とりわけ上流階級の証である銀食器がさりげなく置かれたテーブルに、その背後にはモダンな造りの住宅に、手入れのよく行き届いた庭木に、風は少々強めですが、そこからの木漏れ日に浸りながら優雅な午後のひと時を過ごす夫婦と幼子。そんな成功をおさめたブルジョアジー家族の姿が見事に描き出されているのです。
以後、各地の都市部で催されたシネマトグラフの上映会において観客の多くが自らも<そうであり>、また<そうありたい>情景が、先のメリエスの衝撃よろしく、当時の人々の表現を借りれば「ありのままにとらえられた自然そのもの」の生き生きとした姿で描き出されていたということです。当時のヨーロッパの都市部で住まう、成功した中産階級者としてのリュミエール一族と自己を重ね合わせ、文字通りにそのスクリーン上のイマージュへと自己を<投影>したのです。
同様に、他に上映された『海水浴』や『港を出る小舟』なども、リュミエール一族総出演で見事なまでにブルジョアジー家族の憩いのひと時を描き出しています。きわめつけはモンタージュへ向けてのエポックメーキング的一作である『ラ・シオタ駅への列車の到着』においても、リュミエール兄弟自身よほど気に入っていたのでしょうか、 撮り直された別バージョン(当然、一族の成功の証である『リュミエール工場の出口』にも別バージョンが存在します。)において、弟のルイの妻や娘に、兄弟のお母ちゃんまでをもスクリーン・デビューさせるという、よくよく考えれば、『世紀の一大発明』と、『町の小さな写真屋さん』的ノリとを<いっしょくたん>にさせるという<どえらい>ことをやってのけたのです。(YouTubeに動画がUPされています。 YouTubeへLINK
そしてしつこいようですが観客の多くが、そのやり過ぎた感のあるリュミエール一族に自己を投影したという事実に驚きの眼を向けずにいられましょうか。
それが文化ってもんです。

後は、喜・悲劇から、あなたの知らない月世界に至るまで、何でもござれの『物語世界』へと旅立ちが可能となるのです。近代ヨーロッパの都市部で住まう確固たる自身の立ち位置の「ありのままにとらえられた自然そのもの」である1コマから、次なるカットへと。
 


 

 そんな兆しを感じさせるポートレイトをひとつ紹介します。17世紀の王族の日常を描いた1枚の絵画、ベラスケスの『ラス・メニーナス 女官たち』です。
 

ベラスケス 『ラス・メニーナス 女官たち』 (1656年)
 

 このリュミエールからベラスケスへと歴史を辿ればあと一歩。ギリシャの地まではもうすぐです。
そしてその分岐点の先に「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」の情景が立ち現れるのです。(PART2 参照)


それでは、次回でこの「近々、オトグス・ギャラリーがオープンします。」を終わらせ、合わせてオトグス・ギャラリーをオープンさせたいと考えております。

 


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